桜通り歯科便り#11

東京は日本橋の歯科、桜通り歯科クリニックに来られたら、歴史ある周辺界隈をぜひ散策してみてください

※「桜通り歯科クリニック」という同じ名称のクリニック、似た名称のクリニックが近隣にございますので、こちらは「日本橋の桜通りクリニック」です。ご注意を!

こちら日本橋の桜通り歯科クリニックは茅場町駅、日本橋駅、八丁堀駅、東京駅から徒歩圏内の東証があることでよく認知されている兜町の証券街に位置しています。

街は証券街らしくビジネスマンの方々が多く、本クリニックに来られている患者様も出張や転勤のような移動で人の出入りの多い街です。
また、東京駅から徒歩圏内にあり、新幹線をご利用いただき、噛み合わせの治療を求めて遠くは九州など遠方から多くの患者様に来ていただいています。

そこで、新しく日本橋に来られた方は、この町のいろんな側面を見て、感じて楽しまれることをオススメします。

日本橋という町はいろんな顔を持っており、桜通り歯科クリニックがある兜町、茅場町エリアは日本有数のビジネス街エリアです。

このエリアでの僕のお気に入りは日枝神社の鳥居脇にある二匹の狛犬です。
証券街らしく、株価、景気の上昇を願ってか、上を向いているのです。
時々参拝しますが、その姿を見るといつも運気も上がるような気がして、境内に着く前に手を合わせてしまいます(笑)

日本橋の桜通り歯科クリニック前にあるさくら通りを東京駅方面に進み、昭和通りを歩道橋で横断歩道を越えると歴史ある高島屋や飲食店、商業施設が多くあるエリアとなり、ガラリと雰囲気が変わります。

高島屋の前にある中央通りはお正月に箱根駅伝のアンカーがゴールの大手町に向かってラストスパートをかけて走り抜ける場所です。毎年多くの観客が沿道には並びます。
そのままランナーたちの駆け抜けていく大手町方向に進むと江戸時代五街道の始発点と定められた日本橋が現れます。
周辺は小説家の東野圭吾作、映画化もされた『麒麟の翼』の舞台となった街です、もちろん作中の象徴となっている麒麟の像もそこにはあります。
今は日本橋の上には首都高速が走っていますが、それも数年後には撤去工事が始まり、空を取り戻すようです。

日本橋に住まれている方々の歴史も面白く、町はいろはにほへとのように”組み”に別れていて、その各組みには組頭(くみがしら)がおり、代々の世襲制です。
普段から地の人からは『かしら!』と呼ばれ、頂点として町会長、青年会長と組織がしっかりとしています。
そしてどの方々もみなさんお祭り好きの根っからの江戸っ子達です。

一緒にお酒を飲んでたりすると『ばっかやろ〜』『冗談じゃねえよ、このやろ〜』のような言葉が飛び交います。
決して喧嘩のような怖い感じではありません。笑いながら、賑やかな感じで、そんな言葉がポンポンと軽快に行き交い、田舎から上京した私からすると、その目の前で繰り広げられるやりとりがまるで寅さんの映画の中に迷い込んだようで楽しくなるものです。

もっと、まだまだたくさんの魅力が日本橋にはあります。
歴史もあり、新しい施設も誕生し、江戸っ子たちがいて。

日本橋の桜通り歯科クリニックに来られた際は、ぜひ散策していただいて日本橋の古き良きもの、未来の先端、大都会のイメージからはギャップのある暖かい地元の江戸っ子たちと触れ合ってみてください。
オススメします。

日本橋ってこんな街♪江戸から現代まで

日本橋とは、中央区東京都中央区の昔外堀の一部であった日本橋川に架かる橋のことです。日本の道路網の原点となってる道路元標があります。これはキリン像で東京都のマークを持ち、羽がありここから飛び立とうという意味があります。現在の橋は20代目ぐらいにあたり、わずかなアーチがある石造り、二連アーチで全長49m、幅 27m、設計は米本晋一、銘板の揮毫は徳川慶喜のものといわれています。初代の橋は、1603年に徳川家康により架けられました。

【日本橋の歴史】五街道の起点と定められた日本橋

その歴史は、江戸時代まで遡り、徳川幕府が全国の道路整備網計画で日本橋を起点と定めたことによります。当時の五街道は京都までの東海道、白河までの奥州街道、日光までの日光街道、京都までの中山道、甲府経由中山道と合流する甲州街道です。
現在、日本橋を起点としているのは、国道1号東海道で終点は大阪、国道4号の終点は青森市、国道6号の終点は仙台市、国道14号終点は千葉市、国道15号旧東海道終点は横浜市、国道17号中山道終点は新潟市、国道20号終点は塩尻市です。現在は橋の中央には日本国道路元標があります。
江戸政府は政治支配力を高めるため、道路整備をし、各宿場に伝馬の常備を義務付け、道幅を広げ宿場を整備し、一里塚を設けました。正式に五街道と定められたのは家綱のころで、要所には関所が設けられ通行人を取り締まりました。のちに街道は道中奉行の管轄になりました。
現在で最も長いのは東海道で575km、宿場は58です。五街道のほか、本街道として水戸佐倉街道、伊勢路、中国路などがありました。

【日本橋の歴史】商業の街となった日本橋

日本橋は、旧日本橋区の全体を指し、中央銀行、証券取引所などがある金融街でもあります。また、古くから五街道の起点と海運の中心でもあり、白壁の倉庫が並ぶ様子は錦絵にも描かれています。有名な百貨店、缶物屋、海苔店、フルーツの販売店、刃物、鰹節などの販売店は江戸時代に創業されています。
2014年には、官民一体としての商業施設が開業しました。日本橋地区の活性化として再生計画を推進しています。商業の複合ビルや食や物のこだわりを提供する店舗やレストランなど83店舗の開業をしました。
中でも、和食ダイニングや職人が和菓子を実演するカフェ、京都の漬物屋が提供するワインと漬物のマリアージュ、ベルギーのビール専門レストラン、北海道厚岸の牡蠣と全国の日本酒を味わえるオイスターバー、名古屋コーチンを使った親子丼の店、ウニ専門店もあります。別施設では、映画館がオープン、1800席もあります。さらにレンタルスペースで着物やお座敷遊びも楽しめます。開発を手掛けた会社はシニア世代や幅広い世代が、土日深夜まで楽しめるものにしたいと意気込みを語っています。

【日本橋の歴史】文化の街となった日本橋

日本橋は、昔から歴史のある文化の街として発展してきました。老舗の百貨店や各種販売店が軒を連ねています。食文化では江戸の食の四天王といわれた鰻、寿司、天麩羅、蕎麦の店が今でも揃っています。また、出版も江戸時代から盛んで書籍、江草子、錦絵など印刷物の生産が盛んに行われました。
最大の書籍問屋や、浄瑠璃の版元もありました。江戸歌舞伎の発祥は中橋で始めたのが最初で、後に人形町界隈は芳町、堺町、葺屋町、木挽町などと呼ばれ歌舞伎の興行地として繁栄しました。現在の日本橋界隈には博物館、美術館、図書館、芝居劇場など文化施設が多くあります。
しかし、隆盛を誇った百貨店も日本橋店の閉店でその陰りをみせました。そのため、日本橋再生計画が持ち上がったのです。また、高度成長に合わせ高速道路が予算の都合で川の上に建設され、結果、日本橋を跨ぐように建設され景観を著しく損ないました。多額の予算をつぎ込んで高速道路を川の地下に通すのか、橋自体を動かすのか時の都知事を巻き込み大論争になりました。

明治~昭和の日本橋の発展と今

明治に入り維新のため一時疲弊しましたが、昔からの呉服店が百貨店として初めて誕生しました。また区画整理で周囲は日本橋区となり、江戸時代の金座の後に中央銀行証券取引所も誕生し、金融の街となりました。老舗の呉服店も洋館に建て替えられ街並みもかわりました。
しかし、大正12年の関東大震災により壊滅的な被害を受けましたが、道路や河川の整備と共に魚河岸の築地への移転がありました。その後、第二次世界大戦のため再び被害を受け、市内の大半を焼失しました。戦後の区画整理で北半分が京橋区へ編入さることになるため、反対意見が多く地名を残すためには町名に日本橋の名を冠することとしました。
町名はその後の変遷を経て、現在残っている町名は19あり、日本橋小伝馬町などがあります。昭和になり東京オリンピックを契機に首都高速道路が整備されたため、日本橋の真上に高速道路が跨ぐことになってしまいました。このため、当時大論争が繰り広げられましたが、ようやく、近年地下に通すことで決着し2020年から着工することが決まりました。

マンション建設が進む日本橋

日本橋付近は交通の要衝として発展しました。JRと東京メトロ、都営地下鉄の東京駅、神田駅、東日本橋駅、馬喰横山駅、八丁堀駅、小伝馬町駅、人形町駅、茅場町駅、水天宮駅、浜町駅、勝鬨駅、月島駅、築地駅、新富町駅 など多数の交通が通っています。
このため、近年、マンションの建築、販売が盛んに行われたのです。人口は、平成17年時点では10万人を下まわっていましたが、近年、急速に増加してます。日本橋、京橋、月島地区では今後人口が増加するものと予想されます。特に月島地区は増加が見込まれ、今後、人口増加に対応できる交通環境の整備が必要となります。都営地下鉄12号とかユリカモメなどが整備または予定されています。
高層マンションの開発販売に伴い、子育て世代の増加が著しいです。また、区内のほとんどの駅は地下にあるため、高齢者のためにバリアフリー対応の駅も多く28駅のほとんどが整備されています。また、区内の子育て支援施設や福祉施設、医療機関、文化施設、スポーツ施設も多く、住み易い街に変貌しています。

ビジネス街⇔居住エリアの発展と歯科事情

日本橋は、江戸時代から江戸文化の中心地でありました。日本橋は、口中医、入歯師を始め歯科の発祥の地とも言え、歴史と伝統のある地でもあります。本邦初の歯科医師教育機関が設立されたのも日本橋蛎殻町です。日本橋の歯科医は130となっています。

またオフィス街を擁しているため、その昼間人口は60万人にも膨れ上がります。ビジネス街は交通網が整備され、多くの歯科医も昼間人口をあてにし駅の近くに構えますが、反面月島や浜町などの居住エリアには歯科医が不足しがちとなります。膨れ上がる人口に対して必要な歯科医の数が不足します。居住エリアから歯科医の集中しているビジネス街にいちいち出向かねばなりません。

陸の孤島となりやすい居住エリアにも近くに歯科が必要です。医療機関は全域に分布していても歯科医の存在はまた別のことです。また病院に入院し場合、歯科の検診はしてくれても、虫歯が悪化するなど本格的な治療となると病院の近所の歯医者にいかねばなりません。病院があっても歯医者が近くにいないと長期入院に困ります。

日本橋とは江戸時代から、まさに日本の中心地として繁栄をしてきました。明治維新、関東大震災、第二次世界大戦、東京オリンピックなど大きな節目を経て現在の繁栄を築きました。有名百貨店、中央銀行、兜町の証券街、文化施設、医療機関、福祉施設など充実しています。
また、高層マンションが多く建設され、20~30台の働き盛り、子育て世代の取り込みにも成功しています。日本橋周辺も高速道路がなくなり整備が計画され、住み易い街になろうとしています。

ワンポイントアドバイスで日本橋散策を楽しくする!

一昔前の「日本橋」といえば、老舗デパートや商店といった、まさに「江戸の歴史を感じる町」と言ったイメージが強くあり、街行く人々は比較的年配の方が多く見られました。
しかし、近年はそのイメージを壊すことなく、新たに「流行、センス、自然」を取り入れながら生まれ変わり、ますます老若男女を魅了しています。そんなこの街の魅力を深く掘り下げながら、思わず明日出かけてみたくなる見どころと散策のポイントをご紹介していきたいと思います。

日本橋の魅力とは

日本橋はとても「綺麗な街」です。ここでいう綺麗と言うのは外観や設備といった表面的なものだけではなく、雰囲気も良く、気持ち良く散策できる街ということです。まず、歩行者用の道路がとても広いため週末に混んでいても雨の日に傘をさしていても道路で人とぶつかったりすることはありません。
お子さん連れでベビーカーを引いていても快適に散策することができ、ラグジュアリーホテルやデパート、ファッションビルでは小さなお子さんを連れていても安心で清潔な設備が整っています。また団体の外国人旅行客や若者が集う繁華街とは違い、ここを訪れる人の年齢層は様々で、街全体が落ち着いていて都会の中に静けさがあります。散策での一休みに適した外の風に当たれるベンチやカフェも多くあり、世界でもトップクラスのホテルでアフタヌーンティーやお手頃なバイキングを楽しむこともできます。
「ファッションからグルメまで」とよくいいますが、訪れた人だけが楽しむのではなく、ここだけの雑貨やこだわりのお出汁や和菓子など、ご家族やご友人へのお土産に間違いなく喜ばれる魅力的な逸品があります。

散策前に日本橋案内所で街の情報をゲット!

では、どんな散策コースがあるのか、日本橋ならではのものはなにか?散策前に迷ってしまうそんな時、最新情報を正確に得る手段が「日本橋案内所」です。この案内所は地下鉄の半蔵門と銀座線から直通の三越前駅の改札階にあたる地下1階にあります。
アクセスがしやすく、暑さ寒さが厳しい日や天候が思わしくない日にも快適に過ごせる環境です。周辺のデパート、ホテル、ファッションビルにも案内所はありますが、この案内所が他の案内所と大きく異なるのは、カフェとショップを併設していることです。
季節に合わせたカフェメニューや日本橋限定のお土産を手に取ることができ、案内所として利用せずとも、待ち合わせや休憩にも大変便利です。スタッフは日本橋コンシェルジュと呼ばれ、このエリアを知り尽くしているので、道案内から最新のイベントや体験ツアーを多言語で案内してくれます。また、直接案内所に出向かなくても電話での問い合わせでおすすめ情報を手に入れることもできます。周辺店舗の閉店時間に併せ、21時まで問い合わせに応えてくれます。

街の歴史をめぐるならボランティアガイドがおすすめ

案内所での情報収集だけでなく、もっと深く日本橋を知りたい方におすすめなのがボランティアガイドです。ボランティアガイドは散策に同行して歴史や観光案内をしてくれます。中央区の観光協会でも申し込むことができ、参加費は無料から数百円です。
川にかかる日本橋の上に立ち、通りを見上げてみると立ち並ぶ建物の時代が二極化しているのがわかります。重要文化財に指定されている三越本店、三井本館は重厚で高さもそれほどなく、一方ホテル、ファッションビルは見上げるほどの高さと近代的な外観です。異なる時代に建設されたビル群が一体化しているのは、1919年(大正8年)に当時で言う建築基準法で「100尺規制」が定められ、建物はすべて100尺=31メートルに高さが制限された歴史からきています。
約50年後の1970年(昭和45年)この基準法は改正されましたが、以降に建てられたビルも歴史ある景観維持に敬意を払い、低層部を31メートルに統一し、高層部はそこから奥入ったデザインになっています。そんな気づきを求めている方は是非ボランティアガイドを申し込んでみてはいかがでしょうか。

無料のメトロリンク日本橋を利用してラクして巡る

日本橋を楽々回る一番のおすすめ方法が「メトロリンク」と呼ばれるバスです。メトロリンクには3路線ありますが、その中で2路線が日本橋と「八重洲、京橋エリア」と「明治座のある浜町、人形町エリア」それぞれを巡回バスが結んでいます。
バス停が重複しているところではもちろん相互に乗り換えが可能です。メトロリンクでの日本橋巡りのおすすめの理由は3点あり、まず1点目はメトロリンクが日本橋エリアの企業の協賛によって運行されている「無料」バスであること、2点目は、路線により約10分〜22分で巡回しており、携帯のアプリでは地図上で正確なバスの現在地を知ることができます。
自分が今いる最寄りのバス停が表示され、後何分でそのバスが到着するのか分かり、お買い物時間を調節することができるのでバス停での無駄な待ち時間がありません。3点目は日本橋エリアを巡った後に東京駅や下町の日本橋をまとめて巡回できてしまうところです。このエリアには多くのデパート、ファッションビルがありますので荷物があっても楽にお買い物を楽しむことができます。

もし散策中に体調不良になったら

散策を楽しみすぎて気づいたら歩き疲れてしまったり、季節によっては体調の急変を感じることがあるかもしれません。そのような時は少しの異変でも無理をせず最寄りの商業施設に入るなどして暑さ寒さから避難し、ベンチ、案内所などで休憩を取ってください。
地下鉄が最寄りだった場合には、日本橋駅、三越前駅ともに電車の運行時間内は駅員が改札付近に常駐していますので、申し出て対応をしてもらうことも可能です。休むときには水分をよく摂り衣服の締め付けをなくし回復を待ちますが、それでもなお回復しない場合には最寄りの病院に行くことをおすすめします。三越前駅直結の三井タワー内には土曜診療もしている総合クリニックがあり、人間ドック等の設備も備えています。
土曜診療の病院は他にも多くあり、案内所や駅員に尋ねることが可能ですが、もしも尋ねる場所が近くにないときには「日本橋医師会」で診療内容、地図から検索することができ、休日応急の診療所も網羅しています。なにより体調を崩すことがないよう、水分を十分補給し休憩しながら散策を楽しんでください。

突然の歯トラブルは我慢せずに日本橋の歯科へ

体調不良以外にも、突然やってくる体調の急変には歯のトラブルがあります。周辺にはドラッグストアも点在していますので、痛み止めを服用すれば一時的な痛みは緩和されるかもしれませんが、歯のトラブルは放っていて決して治るものではありません。
「日本の歯医者はコンビニより多い」と言われるほど、日本橋周辺も例に漏れず多くあります。日本橋は商業でも歴史ある街でありますが、歯科の歴史もまたここから始まっており、日本で初めての歯科医師教育機関が設立されたのも実は日本橋です。散策エリアにある「日本橋交差点」を中心に半径1キロ以内では15軒以上の歯科があり、特に新日本橋駅周辺には歯医者が集中していますので、そのあたりで周辺の看板を見渡せば歯科医院が見つけられます。
中には20時まで診療している歯科もあります。もしも休日だとしても、日本橋交差点から1,5キロ以内、徒歩で20分かからない距離の日本橋久松町には休日応急歯科があり、反対に八重洲方面に足を伸ばせばさらに歯科の選択肢が広がります。

いかがでしたでしょうか。ご紹介したものはほんの一部に過ぎず、日本橋はまさに「温故知新」の通り、「ビルの真ん中に森と神社」「近代的なデザインのビルに老舗店」といった異色の組み合わせが存在し、新しいものから刺激を受けつつ歴史あるものの魅力に気付かされる街と言えます。
着物や浴衣が似合う街というのも都内には多くありません。この街のイメージが変わった、少しでも興味を持ったと感じていただいたならば是非、日本橋に足を運び、その魅力を直接体感してみて下さい。

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